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ことのは

ロースクールの法律家に取材。

言葉数がやたらと多くて丁寧で一文が長いなーと思っていたら、
録音を聴いて「この人は文章のように話していたんだ」ってことが発覚。

通常の話し言葉は、言葉の省略やあいまいな表現が多くて、
そのままでは文章にはなりません。

法律に携わる人は、
こんなふうに自分の発する言葉の一つひとつに敏感にならざるをえません。

思えば、文章を書くことに執着のない私がライターになったのも、
人生の一時期に法学の論文に親しんでいたことが大きいように思います。

法律の論文の言葉は、とても便利なもので、
身のまわりに起きるどうでもいい事象に対して、明確に立場を表明できる快さがあります。

同じく法律を学ぶ友達の間で

「なんら合理的理由はない」
「争うところがない」

という言葉遣いを日常的にしている大変に気持ちの悪い19歳でした。



今、法学を離れてみてわかるのは

論文とは、ある事件についてなぜその法律を適用・解釈するかを
具体的な根拠や法律的信条をまじえてクドクド・セツセツと説明するもので、
広い意味で文学的でもあり、わりと青臭いものだと気づきました。

適応する法律の条文はあくまで看板的なもの。
それをどう使い、どう解釈するかは自分の文章の力量しだいともいえるのです。


装飾を少なくして、論理的に物事をいかに説くか。
という部分のトレーニングをしたことが
今の仕事につながっている部分があります。

なんていうと、とても偉そうだけど、
ようするに論理的に物事を考えることをしない私にとって
法律の論文展開に当てはめて思考することが
多少の矯正トレーニングになったというだけの話です。



ちなみに、民法においてはごく初期の段階で、
「善意の第三者」って関係者が出てきます。

AとBの間で詐欺行為があったとして、
その詐欺行為の存在を知らなかったC(善意の第三者)は
不利益を被ることはないとかいうもので、
これが第四者、第五者的なものも加わってきて複雑な様相を呈していくのですが、

「Cが知らないってどういうことなの?」
「Cが知らないってどう証明するの?」

的な疑問が頭を渦巻き、頭が付いていかず、
まったく先に進めませんでした。しょっぱなから。


法律を勉強していたころは
論文が何のためにあるかも理解していませんでした。

ただ複数の学説を暗記して、書くべきことを連ねていく方法をとっていました。
これを「ブロック論文」というそうで、
採点する先生側は、読まずとも論の展開が予測できるので、すごく採点が楽なのだそうです。
難しいのは、独自の論述を展開している優れた論文の時だそうです。



法律が何のために存在しているのか、
それを適用するのは人間に拠っているということ、
そして、社会の人間関係のパターン――

これらを多少なりとも理解できた今ならば、
表層でしか理解できなかった法律の世界の奥深さを
体感することができるのかもしれません。


勉強というのは、ほんとうは若い時で終わってはいけないのだ、と思います。
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by room2room | 2013-02-23 00:12