カテゴリ:考えたこと( 21 )

氏神考

引っ越しが近づいている(地味にカミングアウト)。

家に入る前に、お清めをしたほうがいいとアドバイスをいただいたので、
ざっと地図で見て、徒歩15分ぐらいの<東京のへそ>大宮八幡宮に電話してみた。

電話に出た方からは、
「一応住所を聞いておきますがね…」的なことを言われて、
なにやら敷居が高い感じ。。。

聞けば、新居の住所は、大宮八幡宮の氏子には入っていないのだという。

新しい住所の●丁目-1までは入っているけど、●丁目-2は入っていない
とかいう細かな区切りがあるらしい。

「こういうのは絶対超えられないんですよ。
 何百年も前から決まっているんです」

と言われて吃驚。

知らぬまに結界を張られていたような・・・。

では、うちの住所はどこの神社の氏子なのか?
教えてくれることを期待したが、明言はされず…。

電話の主は「ご自分で調べてみてください」とあっさり言った。



調べるって…。役所は知るまいよ(たぶん)。


もう一度、グーグルマップを見る。

近くに熊野神社という少し大きめの神社がある。

さらにネットで、熊野神社の縁起を調べる。

どうやら現住所が「村」と呼ばれていた時代から、
鎮守さまであった様子だから、たぶんココかと目星をつけて電話をしてみる。

すると、やはりここがうちの氏神様であったようだ。


それで、うちの近くには無人の小さな小さな神社がある。
樹齢200百年は優に超えていそうな立派な桜の木があるひっそりとした神社である。

そこのことも聞いてみる。
大宮八幡宮では、小さな無人の神社は大きな神社が管理していると聞いたので。

すると、なんとそこは個人の持ち物だというのだ。

持ち主の方はその熊野神社の氏子総代であるらしい。


私が生まれ育ったところには「氏子」という風習はなかったと思う。
もとより近くに神社がなかったし(お寺はあったが)、
かつてはどこかの寺社の管理?下にあったのかもしれないが
農地を切り開いて作った住宅地であるからして
もう土地の形自体が大きく変わったであろうから
そのときに完全に途切れてしまったのかもしれない。



大宮八幡宮の人が言う「何百年も前から」とはどういう経緯だろう。
古代の戸籍がつくられた時期か、
寺請制度や宗門改帳とかができた時代だろうか。
それとも自然発生的な?


近くの神社がつくられた時代や経緯も知りたいし、
熊野神社や村の歴史ももっと知りたいなあ。
そういえば、土地自体も縄文時代のなんとか遺跡なのよ(発掘済み)。

ようやく郷土史というものが少しだけ身近になった気がする。


しかし、今までは、神社のそんな制度などつゆ知らずで
節操のないことをしていたものよ。

かつて井の頭公園の近くに住んでいたときに
散歩のついでに弁天様にお参りするようになって、

引っ越してからは公園が遠のいたので、
緑が多い近隣の神社を目的地にしていた。
というわけで、いきつけの神社が3つほどあって、
通えば、たちまち「氏子」みたいなものだと思っていた。

んが、しかし…だったのである。



とりあえず、氏神様が見つかってよかった。
紀州の熊野神社の分霊であるみたいだから、
総本社の熊野神社に詣でるいい口実も見つかった。


なんか、とってもワクワクしてるんだが……
これって、歳だろうか…。ね。
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by room2room | 2013-04-14 18:54 | 考えたこと

本というインターフェイス

先日、本を買って、レジで受け取ったとたん、
その大きさに突然驚いてしまった。
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デカッ!
重!

本が手元にないときは、
スマホを読み物代わりにすることが増えたからだろうか。

ハードカバーの単行本がとんでもなく巨大なものに見えてしまった。突如として。

なんだか、写真立てを選んでいたはずが、うっかりでっかい豪華額縁を買ってしまったような。

それもこれも、携帯電話などがコンパクトな情報端末が増えているせいか。

しかし、携帯電話などは以前と比べ、むしろ巨大化の一途をたどっている。
私はアップルのスマートフォンを使っているが、
どこのメーカーだかアップルよりも2回りぐらい大きいスマホも出ており、
「あのぐらい大きいのがいい」と思っているぐらいである。
むしろ、ipadミニぐらいあっていい。


というわけで、世の中は決してコンパクト一辺倒なわけではないのである。

それよりも最適化が進んでいると思う。


以前は、本とか新聞とかの<器>は選択不可能なものだった。
それが自由に選べるようになってきたから
あらためて感じることができたのだと思う。


かねてから私は新聞でかすぎ!と思っていた。

私達の世代は、社会人になると
一人暮らしのアパートでまず新聞をとり始める、
あるいは、朝、売店で新聞を買い始める
最後のほうの世代だったのかもしれないが、

新聞をとっても、一人暮らしの狭いテーブルでどう広げていいかわからないし、
かといって朝の電車で女性が新聞をばんっと広げる姿もどうかと思ってた。

器用に縦折りにして読んでいる人が多かったと思うけれど、
あれも記事がまたがると超読みにくい。


新聞は実際、あまりポータブルではないのである。

あの新聞のサイズは、床に広げてかがみこんで読むためのサイズだよね。
(実家ではそうやって読んでたw)

だれが一体、あの大きさを望んでいるというんだろう。(新聞社か)

なぜタブロイドサイズなどに移行することができなかったんだろうと思う。


まあでも誰も文句は言わなかった。
だって新聞とはそういうものだからという観念で固まっていたから。


だから、本の大きさももしかしてどうなのと思うんだよね。

単行本のあの存在感や装丁の映える大きさがいいと思う人もたくさんいるだろう。
私もあの紙の厚みや重量感はきらいじゃない。

ただ、単行本ってやっぱりポータブル向きじゃない。

私は単行本は、家とランチ圏内から持ち出すことはほとんどない。
出張や取材の時にもっていくことはほとんどない。
仕事の資料でないかぎりは。

あまりに分厚い本は、手首もしんどくなって
二つに切り分けて読みたいと思うことすらある。

作品としては美しいとは思うけれど。

そこで、日本には、時代の一歩も二歩も先に行っていた文庫というものがある。

外出先で暇になって、薄っぺらい文庫本がバッグに入ってたりすると心底ほっとする。

基本的に文庫って単行本の廉価版で、売れた単行本が文庫化するパータンが多いけれど、
最初から文庫サイズの本がもっとあっていいのではないかと思う。

そういう本は多少値段が高くてもいいと思うし。
単行本なら1500円のところが、文庫なら1000円になる。
場所もお金も節約になって読者的にはうれしい。
作り手としては製作費が減る恐怖は、あるにはある。


たしか小学館かどこかがハードカバーの文庫本を新刊で出してたのは
そういうコンセプトだったのかな。

宮部みゆきか京極夏彦か、超売れっ子作家が
「最初から文庫」って気前のいい新作を出したこともあった。

ただ、既刊本の文庫と、完全新刊の文庫をどう区別をつきやすくさせるかという問題もあるし、
なんだかすでに単行本に文庫に新書と、わりと細分化していて、
本屋には新しいジャンルの入る余地などない感じもする。
そもそも単行本のない本屋なんて、なんだか魅力がない気もする…!

本の置き場に困る身としては、
場所とお金の節約に電子書籍はもってこいだと思っている。

でも、面白い本に出会ったとき、
ページをめくるたびに、読み終わって閉じるたびに
やっぱり紙で本を読みたいとせつに思う。

ということで、紙の本が贅沢品とならず、
できるだけ市場としてさまざまな形のものが多く残ってほしいと思う。

それには、新しい本は単行本という概念を
少し変えて消費者の利便性を見たほうがいいのかなと思ったりもした、という話。





単なる身内びいき的な感じなのかもしれないけれど、

電車や喫茶店で携帯電話を見ているよりも
本を読んでいる人のほうが素敵だと思うのです。





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週末の西荻の朝市で買ってしまった電話…。
受話器の重さとか、プッシュホンの押す感覚とか、もはや新感覚!!

電話切るとき、ガチャンって鳴るんだよ!
ちょっと今のところ、電話かけるのが楽しい…。
できれば、ダイヤル式も使いたい。

ただし、よく考えたら(?)留守電機能がないので本格導入は少し迷ってマス
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by room2room | 2013-03-18 10:44 | 考えたこと

戦後は終わらない

少し前の話になるが、
当時、進行中の本の先生(84歳)の講演を聞きにいったことがあった。

戦前・戦後の杉並というテーマ。
区民センターのような場所の会議室を貸し切って行われた。

集まった人たちは20-30人ぐらいだったか。
その8割は、70歳以上かと思われる高齢率。

先生が話している最中に、
となり前後に飴を配る人がいたり、

先生の話に答えるようにひとり言をいう人もいたり、

ゆる~い空気が漂いつつも、
基本的には、みなさん大変に熱心に聞き入っている。

「海軍は戦争に反対したっていう話もあるけれど、
 戦争は陸軍だけじゃできないんだから」
って先生が言えば、

わらわらと同調の声が上がったり、

東京大空襲の話になると、
となりの人と勝手に話しだす人が増える。

「5月25日の空襲の状況をもう少し詳しく教えてください」
などというピンポイントな質問が上がったりした。


どうやら、単なる歴史好きの集まりとはちがうらしい。

わたしはてっきり
郷土史や歴史好きな人が集まっているのかと思っていたが、
戦争体験者があの時代を振り返る場だったのだ。

この狭い会議室の中では、
戦後未だ終わらず、という感じで

あのときの話を聞きたくて、
少しでも当時の事実を知りたくて
84歳になる先生の戦争体験に会場が耳をすませていた。

戦争当時、先生は19歳だったが
集まった人たちは、
先生の10歳下のぐらいの世代が多いのだろうか。

子どもの時分に戦争というものを経験して
何もわからないまま世の中が激動し、
それに親や兄弟や親類が巻き込まれ、
街や社会がまるで変わっていく様を
なすすべもなく見つめていた世代なのではないかと思う。

あれでアメリカさんに勝てるはずはなかったよね
と、今となってはあらゆる世代の人が自嘲気味に言うけれども、

時代の流れの渦中にいる人たちは、
どのぐらいそのわかりやすいはずの現実が見えるものなのだろう。


そんな時代に生まれて
年をとって、いろいろな考え方や歴史を学んで
過去を振り返る余裕が出てきたら、

「あのとき、何もかもを変えてしまった戦争は一体なんだったのだろうか」

と知りたくなる気持ちがわかる気がした。


戦争に苦しめられた世代なのに、
軍隊や戦争の話をするととたんの饒舌になる人もいるということを
わたしは今まであまり理解できなかったけれど

人は時代に巻き込まれながら生き、
いろんな価値観や文化を刻印されて生きるのだから
もうこれは必定としかいいようがないのだろう。


間違っていようとなかろうと
自分の生きた足跡なのであるのだから、
忘れることなどできないし、
いやおうなしに自分の一部になってしまっているのである。


人にはそれぞれ
強烈なインパクトを与えられた時代がある。

心のやわらかな年齢のときに与えられたインパクトは
それはもう大きいはずだ。


私が年をとったときは
いったい、いつの時代を振り返えらずにはいられなくなるのだろう。
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by room2room | 2012-12-13 20:30 | 考えたこと

デジタルデータの危うさ

先日、情報工学の権威的な教授にインタビューして聞きかじった話。



DVD、USBメモリ、ハードディスクドライブ等々の記憶メディアの寿命は
せいぜい5年とみておいたほうがよい


のだそうだ。


ええ?!
半永久じゃなかったんですか?

それじゃあ紙よりもたないじゃないですかー。


データ自体は永久であっても、
それを保存する記憶メディアの書き込み部分は
じつは有機物を使っており、ふつうに劣化してくのだそう。
(ちなみにDVD-RWは金属に刻むのでわりと持ちがいいらしいです)

DVDやハードディスクドライブに入れておいて
ある日再生してみたらデータが呼び起こせなくなっていた…
というのは当たり前にある話なのだそう。

旅行の写真とかDVDに入れてもう何年もそのまんまにしているの、
けっこうあるわぁ……



そんなデータ損失を防ぐ手立てとして・・・

●安売りの激安品ではなく、多少高価格であっても信頼できるメーカーの製品を選ぶ

値は値、ってやつですね。
写真とか映像とか大事なものは、ちゃんとした製品を買ったほうがよさそう。



●分散管理する

これが一番の手立てでしょう。
web上、ハードディスク、DVDと重要度に応じて2重、3重に管理する。

面倒くさいけど…こうするしかないですね。


さらに、きわめつけの先生の言葉。

「ほんとうに大事な写真は100年プリントにしておいたらいいですね」

がーん!


すごく時代は変わったようで…実はほとんど変わってなかった?

ミョーな感覚にとらわれたのでした。



さらに、(個人的な興味から)
電子書籍についても聞いてみました。

単純にハードはどれがいい、ということを聞きたかったのですが

それ以前に…という感じで

開口一番に出てきたのが
「紙と画面とでは目にかける負担が全然違う」
ということ。

そういえば、最近は紙そっくりに画面が出てくるけれど、
画面は光るものであって、刺激だもんね…。

しかも
「その内容の理解や吸収率については疑問が呈されている」
とのことでした。

さらに
「快適な大きさというのが難しい。ほんとはA4ぐらいの電子書籍・電子ペーパーがないと快適性は確保できないんじゃないかな」

もちろん先生ご自身も手持ちの本の「自炊」などもずいぶんされているし、
会議の資料などもすぐに電子化してしまうそうだけど、
それはあくまで保存場所、管理などで利便性が優先されるものに関してなんですね。



総合すると・・・・

現段階でのデジタルデータというものは

置き場所の縮小
期間限定的な管理

においてひじょうに便利なものであって、

・それが永続的に保たれるか
・人間にとって本当に最適・快適なものか

という点に関しては、
改良の余地がありすぎて、はっきりいって未完に近い。


今の時代はものすごいスピードで変化していて
「わー、便利!」「わー、すごい」と
私たちは驚かせられつづけているけれど、

驚いて・飛びついて・使いこなす、ことに忙しすぎて、
その実用性、必要性についての検証はまだまだこれから、ということだ。

もちろん、
いくら紙の本が実際は優れていたとしても、デジタルの本が凌駕していくことは考えられるし、
デジタルの本がどんどん改良されて、紙の本よりずっとずっと優れた存在になることだって考えられる。


私には、時代の答えを待つことしかできない。


中身(コンテンツ)をつくるという部分で
自分がブレないことを願うばかり。
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by room2room | 2012-12-12 16:37 | 考えたこと

尊厳の芸術展→リヒテンシュタイン展

11月中旬、ちょっぴり時間ができたときに、
突如行きたくなったのは美術館。


東京藝大美術館の「尊厳の芸術展」

国立新美術館の「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」


に行くことにした。


まず一本目。
東京藝大美術館の「尊厳の芸術展」
太平洋戦争中に、強制収容された日系アメリカ人たちが
強制収容所の中で、くず材や石、貝など限られた材料で作り上げた
家具や日用品、飾り物の数々が展示されているという。

芸術家でもなんでもなく、市井の人の手でつくられたもので、
しかも材料もまともにない状況――

はたして芸術なのか、歴史的資料なのか、
どんなモノがあるのか、まったく想像がつかなかった。


実際に見て、驚いた。


素晴らしかった。


手荷物一つで砂漠などにある収容所に放り込まれた彼らは
収容所で手に入るごくごくわずかな資源をもとに
自分たちの生活に必要な家具、ソロバン、ハサミ、カゴ、表札などをつくり上げた。

くず木材は寄木細工にして小さな家具をつくり、
紙や玉ねぎの袋で繊細なカゴを編み上げる。

石で、硯やお茶碗だってつくる。
木製の日本刀もあった。
寄せ集めの材料で作り上げた、日本人形や仏壇もあった。

なかにはアメリカらしく、
パイプクリーナーで作った造花や
貝殻や種でつくった繊細なブローチなどまである。

それらがもう驚くほど繊細で丁寧な手仕事で、
たたずまいが美しいのだ。
何度も何度も喉が詰まった。

いわゆる「用の美」というものか。
しかし、それを超えるものだった。

それは、その一つひとつに、希望や優しさのような明るい力が確かに宿っていたからだ。
収容所という言葉から連想される、重苦しいイメージを見事に裏切るものばかりだった。


作品のひとつにこんな句があった。

「血の誇りしかと抱いて待つ明日」



品々の存在が知られたのは、
戦争が終わって、彼らが収容所生活から解放されて……
ずっとずっと後になってからのことだ。

彼らは収容所での苦楽をともにした手ずからの品々を
ガレージや屋根裏部屋にしまい込み、
家族にも見せることはしなかったし、
収容所生活について子どもたちに語ることはほとんどしなかったという。

それは負の歴史を自分たちの子どもの世代に引き継がないため。

子どもたちがアメリカで認められ、今度こそ根づいていけるように
つらい歴史はすべて自分たちの心にしまい込んだのだ。

今回の出てきた作品は2世、3世が
「うちにこんなものがしまわれていた」と持ち寄って
広く知られるようになったものなのだ。

たあいもない生活品ばかりだけれど、
なにか特別なものであることは
見た瞬間、彼らにもわかったにちがいない。


ほんとうにこれは見ればわかる、としか言いようがない。



誇り高き日本人がいたことに敬意を払いたい。

今のわたしたちがこんな生き方を出来るか

芸術とは一体何なのか

考えさせられた。




と、「尊厳の芸術展」に大感動したあと、

なんだか趣向も方向性も180度ちがう

国立新美術館の「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」に向かう。


リヒテンシュタイン家は、スイスとオーストリアの間にある
リヒテンシュタイン公国の王族。

その昔、リヒテンシュタインさんは、地方の有力者みたいな人だったんだけど、
芸術品が好きでいろいろ集めてたら、
ローマ帝国のカール6世とやらに気に入られて、侯爵の号をもらった人。

ということで、リヒテンシュタイン家では
「我が家の当主は優れた美術品収集家たれ。それこそが一族の栄誉を増す」
とはっきり家訓で定められおる。

そして代々、お金と地位にモノ言わせて、
ラファエッロ、レンブラント、ヴァン・ダイクをはじめとする巨匠たちの名画やら
美術工芸品を3万点もコツコツ集めちゃったのだ。


テーブルとかソファ、タピストリーなどの調度品はバロック様式のものが多いんだけど、

わー。なんかバロック苦手かも・・・。ゴテゴテしすぎやろ。


なんか西洋画にやたら多い

横たわるキリストをマリアが抱く画とか、もうわりと食傷気味。

バッカスとかヘラクレスとか神話の人とか何が何だかよくわかりません。あと、肌出し過ぎやろ。


ってもうなんか、前の展示の後遺症かな(汗)、すごく受け入れがたかったw




ただし、個人の肖像画はなかなかよくて、

イタリア人のグイド・レーニって画家が描いた「マグダラのマリア」は
みずみずしい可愛らしさで、聖女というよりはモテ女って感じでステキーでした。
さすがイタリア人やね!

フリードリヒ・フォン・アメリングって人の描いた肖像画は
生命が静かにやどっている感じがして全部よかったな。

マッティン・ファン・マイテンスとやらの
「マリア・テレジア」の肖像画もよかった。

あの手の有力者の肖像画って、
もうキモは顔、顔、顔の部分なんだろうね。
体とかドレス、調度品ってほとんど様式美の気がしてきた。

目の生き生きとした感じ、
慈悲と知性とウィットのようなものまで感じさせる豊かな表情は
観てて飽きない。


写真のなかった時代、
やっぱり自分の顔を描いてもらうってめちゃくちゃ楽しい経験だったと思うし、
まわりの人と「あーすごい似てる~」なんて言って相当に盛りあがったと思う。
描かれるヒトの関心はほとんどそこだったと思うよ。(勝手に)


ということで、人物画の面白さは別として、
西洋のこの手の豪奢さとデカさを競うような美術品には
内側からくるような共感が訪れないことがわかった。



世界はぜんぜん一つじゃない


っていうのはとても大事な認識な気がしてきた。
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by room2room | 2012-11-29 13:40 | 考えたこと

イマドキの若者よ。

ちょっと前の仕事では、

今までになかった分野で働く20代の若者を取材した。

私もつい最近まで(えー。うそ)20代だったが、
私が20代の頃の20代と、今の20代とではやっぱりちがう気がした。


なんつーのだろう、
一口で言うと、

パブリックの精神がある、
そして、
幸せという言葉を口にする

ということかな。


私が仕事を選んで働きだした時代は、1994年ぐらいか、

積極的に仕事を選ぶ基準はざっくり、

やりがい
お金
立身出世

的な要素だったな。

自分の好きなことで、お金をしっかり稼いで、それなりに活躍する。

それ以上のことは考えもしなかった。私や周りの友達は。

そのあとぐらいに、
「無理をしないで自分の時間を大切にする働き方がしたい」世代が出てきたかな。


そして、いま。

彼らは、…もしかしたら私の取材対象に限ったことであるかもしれないが(十分ありうる)、

人や地域の役に立つことを選択理由に入れるのだ。

そして、お金や立身出世ではない、幸せを手に入れたいと。



「お金じゃないんですよ」

っていう彼らの気持ちをとても大事にしたいと思った。


お金がなければ事業、仕事なんて成り立たないのだから、
ちゃんちゃらおかしいのだが、

物ごころついてからほとんど日本が不景気だった彼らには

彼らなりのお金の見え方、社会の見え方があるにちがいない。



「幸せになる生き方をしたい」
「幸せに、豊かに生きるってどういうことかよく考える」

って、さらりと口にする感覚は、ちょっと新しいと思った。


私は幸せって、土台をつくったうえにあるものだと思っていたからね。

そのために、今は努力や我慢をしようと思っていた。

でも、彼らはストレートに幸せを手にすることを望むんだね。

そして、彼らはいい意味で冷めているのだった。


なかなか目からうろこだった。


自分よりも10も年下の人に、

見えなかった部分、見えないようにしていた部分を教えてもらった気がして


とても新鮮だった。
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by room2room | 2012-04-25 00:31 | 考えたこと

この100年で失ったもの

昨日の夜、ETV特集
見狼記 ~神獣 ニホンオオカミ~  (再放送)
を見ました!

日ごろぼんやりと漂い生きているもので、
ニホンオオカミが日本に一匹もいない(とされている)ということを
全然知りませんでした。

もともとは17万年前に大陸系オオカミから分かれて、
日本列島のあちこちに生息していたみたいです。

そのニホンオオカミを追い続ける人々と
ニホンの民俗信仰にせまった見事なドキュメンタリーでした。

・・・・・

メインで登場するのが、八木さんという狼…狂いのおじさん。
登山中にニホンオオカミらしき生き物に遭遇して写真に収めたことをきっかけに
奥秩父での狼探しを始めて十数年。

このおじさんてば、川岸で腹這いになって、
水面に口をつけて水をすすったりして、
並大抵じゃないワイルドさを垣間見せるのだけど、

なにより、
狼の遺物や言い伝えを守り継ぐ人、目撃者をたずねるときの顔が尋常じゃない。
渇望と歓喜と、若干の嫉妬の入り混じったような、
なんとも言えないランランとした目で見つめる。


ニホンオオカミを見たという人の感想はほぼ共通していて、

犬とは明らかにちがう姿で、
全身にブルブルと震えが来るほど恐ろしいかったと。
でも、とうのオオカミは
まるで人間のことなど見えていないかのように
悠然と通り過ぎていくのだそう。


そして日本における、
狼にまつわる遺物、そして信仰は、なかなか興味深くて
基本的には、「人に見せてはいけないもの」として言い伝わっている。

代々、狼の牙をもっていると言われる長瀞の山奥に暮らす一人暮らしの老婆を訪ねると
「はてー。おじいさんが亡くなった時にどっかいっちゃったねえ」と笑いながら話すのだけど、
八木さんが「おばあさん!それは長瀞の文化財になるぐらいすごいものですよ」とあおると、
突然慌てだすおばあさん。
ほんとうはあるのではないかと突っ込むと、口を閉ざして難しい顔をして下を向く。

さらに、埼玉県の鶴ヶ島では、いまだに隣近所16軒で狼講という形態で
狼信仰をしている地区がある。
その16軒の家々っていうのが、映像で見る限りは、
なかなか現代的な作りで、いかにも田舎って感じじゃなくて日本の一般的な家並み。
(鶴ヶ島って市だし、埼玉県の中ではそんなにド田舎ではないのです)

その狼講でおこなわれているのは、
毎月1回、家の主が、地域で管理してる狼のお宮さんに藁で包んだ白米を夜中に捧げるというもの。
夜中に一人家を出て、藁に白米をのせて、狼さまに捧げて手を合わせる。

その風習を引き継いでいるおじいさんによると
「お米がたくさんとれるように、お蚕さんがよく育つようにってお願いしてもおかしくないのだけど、
 狼さまの前に立つと何も頭に浮かんでこないんだって、うちのおやじはよく言っていました」

一部の家からは「時代も変わったし、もういいんじゃないか」って声も出ているのだけど、
どの家も障りが怖くてやめられないらしい。
(・・・ちなみにこうした狼講なるものは、秩父の村々にもあるようです)

そして、狛犬じゃなくて狼の像が境内のあちこちにある
秩父の釜山神社。
78歳にもなるおじいさんが神主で、狼に捧げる白米を入れたおひつを背負って
月に1回、山頂にある奥の院まで急こう配の山を登っていく。


山頂から垂らした鉄の鎖が唯一の命綱。
その鎖に全身を預けて、袴をはいたまま、おひつを背負い、
息を切らしながら山を這い登る。

奥の院という祠がある場所に着くと、さらにそこから谷に下る。
供え物を捧げる場所は代々神主しか知らない。そこから先はカメラは追うことはできない。
祝詞をあげる声だけが谷間に響き渡る。

神主はおひつごと白米を谷に残し、前回のおひつを背負ってまた奥の院まで戻ってくる。

神主が谷から持ち帰ってきたおひつは米が一粒残さずなくなっていて、
雨が入ったのか、米のとぎ汁のような白い膜のようなものだけが底に残っていた。

長年使ってきた木のおひつのフチには、動物の牙らしき跡が付いている。

「狼さまが召しあがったんだ。
 フチにある噛み跡は、狼の牙の跡。
 昔からフチから三分三里のところにつくのは、狼の歯形と決まっている」

そう断言する神主。
神主は狼の存在、そして神としての狼の存在を信じている。
そうでなければ、こんな命がけの神事なぞできない。

このお供えの神事は300年にわたって続けているそうで、
今は神主であるおじいさんが一人で執り行うのみ。
昨年奥さんが亡くなったらしく、一人暮らし。子どもはいない。

「一度は(オオカミに)出会えたらいいね。一生で一度、あるかないかだね」




最後のニホンオオカミは、明治38年、奈良の集落で鹿を追って山を降りてきて、
川辺で弱っていたところを、筏師に撲殺された。

それ以来、公式にはニホンオオカミの足跡は途絶えて絶滅種とされている。
(・・・その原因は、狂犬病の流行、明治以降の日本の森林破壊(国策としてのスギ・ヒノキなど人工林へ転化)が、食物連鎖の頂点に立つニホンオオカミの生息地を激減させたといわれている)



こうしてニホンオオカミの系譜は閉ざされた。


奈良の山奥には、野犬を集めて、狼に似た特徴をもつものを集めて飼育し、
かけ合わせて「戻りオオカミ」なるものを作ろうとしていた元教師がかつていたようだ。

教師の死後、「戻りオオカミ」は一頭だけ残り、
今も熊野の民家で育てられていた。
硬そうで短い毛並みは獣っぽい。
でも、狼でも犬でも狼でもない、不思議な風貌で全体としてちぐはぐな印象を受ける。
オオカミに〝戻そう〟としたところが、
なんだか別の着地点に落ちてしまったような感じではある。

引き継いだ熊野の夫婦は
「こんな見た目だから怖がられるのだけど、とってもおとなしい。
 …狼?犬でしょうね」
と笑う。


そうしている間にも、ニホンオオカミ探しに血道を上げる八木さんは、

オオカミを見た、という人々から場所を聞き出し、
そこに赤外線カメラを取り付けて、狼が現れるのを待つ。
その近くにキャンプを張り、寝袋にくるまりながら、こう夢?を語る。

「死んだら、山に土葬にしてもらいたい。そうすれば狼が食べに来てくれるから」



八木さんが秩父で偶然撮った写真は、
多くの専門家に「ニホンオオカミではない」と断ぜられた。
一人の専門家だけが、狼である可能性を示唆して、八木さんの活動を応援した。

ニホンオオカミと犬のちがいはごくわずかであるらしく
また資料的なものがほとんど残っていないことから
頭蓋骨の一部にある小さな窪みを確認しないことには
最終的に、ニホンオオカミと断定はできないらしい。


だから、私たち日本人はもうどうやっても
生きているニホンオオカミを見ることはできない。
たとえニホンオオカミがいたとしても、野生の姿ではもう見ることはできない。


・・・・・・・・・・・・・・

江戸が終わり、明治が開けて、
近代化が進む中で、日本人は次第に狼への畏れを失ったのだと思う。
狼へ畏れとは、
つまり自分たちには及ばない力をもつものがいるという
自然への畏れを象徴していたのだと思う。


これからも、狼信仰は風化していくだろう。
完全には消えないかもしれないが、
ますます人々の心からなくなっていくことは確かである。
今でさえ、すでに風前の灯であるのだから。


失いつつある狼信仰の風習を取り戻すことはもうできない。
たとえやったところでもはや「戻りオオカミ」のたどり着いた先と同じである。


それならば、これからは

どういうかたちで自然への畏敬を取り戻したらいいのだろうか

ということを考えさせられた。


人間が弱く愚かな存在であって、
人間は自然によってようやく生かされる、ごく小さな存在であるのは
今も昔もまったく変わりはないのだろう。

ただ、自然を畏れる敬虔な気持ちだけは失ってしまった。

そのアンバランスの上に立っていることに少しだけ哀しみを覚える。
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by room2room | 2012-04-08 16:36 | 考えたこと

土地が人を育てる1

やっとこさ、更新。

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先日、取材で京都に行ったときに
寸暇を惜しんでお寺見物。

大阪のクライアントの方が
「よく京都のお寺にのんびりに来る」(!)
風流な人で、その人の案内で
ほんの少しの空き時間にお寺に行けた♪

名前は忘れたけど、「岩下志麻のメナードのCMで使われた」由緒ある?お寺らしい。


年々、京都が沁みる。

空気とか空に、
「やっぱり京都はいいわねー」
となってしまうのはナゼ?

山々を抱いた京都の広い空(気づかなかった!)とか、
つづく砂利道とか
やたら大きなお寺の本堂とか

昔は、そんな余白が大きいほど退屈でしかなかったけれど、

なんだか日常生活でせせこましくなった心が吸い上げられるようで

「やっぱり京都はいいわねー」(二度目)

となってしまうのだ。


なんだ、この刷り込みは。


ついでに、そんなこんなでのんびりしてたんで、
次のお約束に遅れそうになってな。

タクシーに乗ったら、
運転手のおじいさんに
「慌てなさんな。もう遅れるものは遅れるんだから」
と京都弁でたしなめられた。


ついでに帰りのタクシーでは
西陣生まれの運転手のおじいさんに
「京都は何にもないでっしゃろ。東京のほうがええわなー」(うろ覚え京都弁)
って何回も言われた。

んなこと、思ってないくせに~!!!

いけずー。



ということで、
なんか京都の人って
関東とはずいぶんちがうなーって
思いました。


土地が人を育てる。


というのはたしかにあると思いました。  つづく
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by room2room | 2011-11-15 17:59 | 考えたこと

セルフイメージ

最近、太ってきているらしい。
自覚はあんまない。


しかし、店で服を試着して


は い ら な い


ってことがふつーに多くなってきた。


Lが入らないってどゆこと?




「このサイズだとキツイかもー(チラッ」って言っても、


「お客さんなら細いからだいじょうぶですよ~」


て、言ってくれる店員さんが皆無になった。






人間は他者の存在によって、自分を知るのである。




何度かお仕事させていただいたことのある
スポーツライターの小林信也さんは
名著『カツラーの秘密』で、

ショーウインドに映ったハゲの自分に
セルフイメージがついていけない人の話が書かれていたけれども、
まさにソレである。


しかも、


これまで太るという経験をしたことがなかった私は

・・・痩せ方を知らないのである。
・・・食べたいものを我慢することがないのである。

デブが止まらなくなる可能性大。


ということで、

そろそろ引き返せなくなってきているっぽいので

恐怖の恥さらし食事運動日記をつけはじめます。。。
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by room2room | 2011-07-20 23:36 | 考えたこと

コミュニケーション能力判定

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話し言葉と書き言葉というのは
かなりちがうものであって、

人の話を原稿に起こすときは
そのままの言葉は使えないことはけっこう多い。

それは、人が言葉だけじゃなくて、
表情や間や声のトーンで言わんとしていることを
表現しているからであって、
そのトータルに見合う言葉を見つけてこないといけない。


そうすることで
「言ってないけれど、そう言った」願わくは「そう言いたかった」
絶妙のバランスを見つけてこんといけない。

もちろん「そう言った」ですむ言葉の決定力の強い人もいる。



さらに最近気づいたのは、
「コミュニケーション上手は、意外と中身あることを言ってない」
ことが往々にしてあるということ。

とくに座談会になると、あとで録音を聞いてみて、
会話で活躍していて、みんなの注目を集めていた人が
意外と大したことを言っていなくて、

ちょっとみんなとズレていたり、
空気読めない?きらいがある人が
テーマに即した答えをねちねち、ズバンズバンと投げていたりする。

といっても、コミュニケーション上手が空振りをしていたのではなくて、
みんなの話を引き出すいい前振りとか、提案を投げかけていたりするので
他の人からいい話が聞けたりする。ナイスアシストというやつ。


全体の空気をどうもっていくかを軸に考える人と
自分が何を言うべきかを軸に考える人
の違いかもしれない。

どっちも必要。

そして、どっちもできる優れた人も多い。



というわけで、
人のコミュニケーション能力のようなものは、

表情や言葉、身ぶり手ぶりを上手に使うことばっかりじゃなくて、

外からはぜんぜん見えない部分が面白いんじゃないかと思う。
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by room2room | 2011-06-21 01:15 | 考えたこと