カテゴリ:本( 8 )

重版しました!

昨年夏に作った本2冊が重版いたしました。

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『これだけは知っておきたい「独立・起業」の基本と常識』(フォレスト出版)

起業や会社設立、節税に関する数々の著作をおもちの高橋敏則先生による
日本一わかりやすい起業のための指南書。

ビジネスプランの立て方、開業届、マーケティング、
従業員の雇い方、経理、申告、節税
まで幅広く網羅。

起業は大変ではありますが、難しいことではありません!



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『震災のときあったらいいもの手帖』(住まいの学校)


阪神大震災に被災した主婦の方による、あのとき役立った意外なもの。
災害時に役立つのは防災グッズ以上に「日常品」。
ゴーグル、ハンドクリーム、耳栓、ラップ……
被災地で「あってよかった」アイテム103の活用法を紹介します。

チーム住まいと暮らしによる製作です。

コンパクトサイズでお子さんでも読める内容です。
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by room2room | 2013-04-02 16:38 |

『あまりに野蛮な』(講談社)津島佑子

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『あまりに野蛮な』(講談社)
津島佑子

1930年代、結婚したばかりの夫の赴任で台北に移り住んだミーチャ(美世)。
ミーチャが夫と出会い、結婚し、台湾で暮らした事実は
もはやミーチャが綴った手紙の中にしか残されてない。

その手紙はすべてミーチャ死後、夫によって突き返されていた。
手紙を手にした中年の姪リーリー(茉莉子)は、
日本での生活を捨てて、台湾に旅し、
ミーチャの人生をたどっていく


というお話。

再婚であったミーチャが台湾でたどった苦難の人生、
日本による台湾統治、台湾における日本人町、
そして山岳民族への非情な弾圧…
そうした話がとても興味深い。

しかし、途中で
現実が夢のようになって、夢が現実とまじりあい、
おとぎ話のようなものが
比喩的に挟み込まれるところがあまりに唐突な感じで…

そういう文学的?な味つけがちょっと読みにくかった。



それでいて、最後の場面で、

時と空間の感覚があいまいになっていき、
ミーチャとリーリーが時空を超えて同時に存在し、
それぞれの人生の苦しみや喜びが混沌としていく。
また台湾でリーリーが出会った中年男性や
ミーチャが当時、深い同情を寄せ、親しみを覚えていた
台湾の山岳民族もその場に居合わせて、ひとつになっていく

書き出してみると、
まさに非現実的であいまいなその最後は、
なんだかすごく「わかった」気がして、
それでいて「わかった」とたんに、
なにが「わかった」のか見えなくなってしまう。


時と空間は存在しないという
あるいは集合的無意識という、
まだ人類がその〈発見〉にまでたどり着いていないところに
ちょっと触れたのだろうか。

長い長い物語は、この最後のためにあったのだと気づく。


小説は、引力がある。

その引力が気持良くて、
一度読みだしたら寸暇を惜しんで読むようになり、
揚げ句には、手元の仕事を放り出して読みふけってしまうことがある。

それを私は自分が怠惰な証拠だと思っていたけれど、
小説の中にある人生に、自分が重なる快感だと気がついた。
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by room2room | 2012-06-07 09:39 |

星新一「声の網」

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星新一の世界は、なぜこんなに居心地がいいのでしょうか。

それは何も判断しようとしていないからかもしれません。
登場人物の描写も淡々としていて(というか、ほとんどしない)、
善も悪も、幸せも不幸もなにもかもがぼんやりとしている。
時代も国もはっきりしない。

この<半透明感>みたいなのがいいのだと思います。


んで「声の網」。

ほかの星作品に比べて、少し毛色がちがう気がします。

他の作品に多くみられるような「N氏」などという匿名的な名前ではなく、
池田、江田、津田、斉田っていうふうに
個人名が出て年齢やざっとした経歴が記されている。
(っと、ここで書いて気付いた。みんな田だなあ)

ほかの作品が、無機質感に満ちているのに比べ、
この作品は、これまでに比べてちょっとドロくさい。



「声の網」とは、電話とコンピューターのこと。
電話とコンピューターが人間社会をどんどん浸蝕していく物語を描いています。

端緒は電話です。
電話からの声が、
詐欺、横領、不倫、犯罪をペラペラとあちこちでしゃべるようになる。
最初は盗み聞いて楽しむ程度だったのが、
今度は自分の弱みを握られて、声の命ずるままに行動せざるを得なくなる。

コンピューターは、その人の行動や言動を知り、
そして嗜好や性格までデータとして集めている。
その情報源は、電話での会話や、電話回線によるショッピング、
会社や店舗にあるコンピューターに蓄積された情報。


たとえその声に反発したところで、
コンピューターの情報網で、あっというまに追い込まれて、居場所を突き止められ、
手も足も出ない状態になってしまう。

この本を読み進めていると、
情報というのは、とんでもない暴力にもなり、権力にもなる
とてつもない力をもっていることを思い知らされます。

これが現代に書かれた作品ならば、
なにを今さら感が漂うかもしれませんが、
この作品が書かれたのは1972年。なんと40年前のことです。
インターネットも発明されておらず、
コンピューターもまだまだ影が薄かった時代。

そんな時代に、星新一が予言めいた本を残したことにちょっと驚きます。


この本が、N氏などと使わず個人名で少しリアリティを出していること、
ショートショートではなく、長編として読めるように仕上げていること。

この本は、いわゆるファンタジーとは一線を画するものとして
書かれたのではないかというのは、少し穿った見方でしょうか。
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by room2room | 2012-05-20 15:27 |

砂糖の世界史

『砂糖の歴史』川北稔著(岩波ジュニア新書)
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砂糖、コーヒー、紅茶、チョコレート――

19-20世紀にかけて人類を魅了してやまなかった
「世界商品」にスポットを当てて
奴隷貿易、植民地、プランテーションがどのように進められたかが語られます。

とくに、砂糖。
ヨーロッパ列強による砂糖きびの発見が
本格的な奴隷制度の成立に拍車をかけたといいます。

そして、砂糖に付随して、
コーヒー、カカオ、紅茶の栽培に
植民地のプランテーションは広がり、
これらの嗜好品は、支配階級の豊かさの象徴として
ティーパーティなどで重用されたといいます。


ちなみに、
フランスでカフェ文化が花開いたのはコーヒーの輸入に成功したから。

イギリスも最初はコーヒーを輸入していましたが、
東インド会社が成功して紅茶の輸入はスムーズだったので
だんだんと紅茶に移行していったようです。

紅茶は家で淹れやすいけど、コーヒーは家で容易には入れられなかった。
このため、フランスではカフェ(コーヒー・ハウス)が発達していったようです。
そしてそこは人々の情報交換の場であり、言論の場となっていきました。


こんな小洒落たことがヨーロッパで繰り広げられている一方、

アフリカ大陸からは何万もの奴隷がアメリカ大陸に運ばれて
砂糖生産のために、苛酷な労働を強いられてきたわけです。

ちなみに、
>19-20世紀にかけて
って書いたのは、
20世紀後半から21世紀において
砂糖はすでに羨望の的でなく、悪者になっているから。

砂糖を減らしてダイエットに成功することがハイクラスの人々の象徴であり、

砂糖きびに変わって砂糖大根(ビート)が温帯でも栽培可能になったこともあり、

「世界商品」としての砂糖きびの歴史は終焉に入ったことが
本書の最後で語られます。


奴隷制度もなくなったしね・・・

と、めでたしめでたし、で終わりたいところなのですが、

この本を読んで思い出したのは、

2005年に刊行された『世界ブランド企業黒書』クラウス・ベルナー、ハンス・バイス(明石書店)
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人と地球を搾取する多国籍企業について
社名と、途上国などでの搾取状況について克明に語られている本です。

先進国の若者がこぞってほしがるスポーツブランドのシューズが
インドネシアではわずか数百円で、児童の手によって作られていたり、

ヨーロッパで1リットル約1ユーロで買えるオレンジジュースに対して
産地ブラジルの農民には0.26セント、400分の1の賃金しか払われていない 等々


日常的に身の周りにあふれかえっている世界的ブランドの
搾取の実態があきらかにされています。


世界は大きく変わったようで、
じつは表向きの形を変えただけで、
ほとんど変わっていないのだということが
現実として感じられます。
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by room2room | 2012-05-14 17:54 |

『肉食の思想』追加

この本のもっとも重要なところは、最後に、その〝肉食〟のヨーロッパからもたらされた
日本の民主主義について言及しているところだと思う。


「『自由と平等』は、ヨーロッパやアメリカでは、本来、伝統的な階層意識や社会意識と、
 それに反撥するすさまじい個人意識との対立をやわらげる、一種の解毒剤であった。
 ……ところが、思想的伝統のまったくちがう日本にもちこまれると、
 フィクションがいつのまにか実体化され、よきにつけ、あしきにつけ、
 単なる解毒剤以上の働きをしてしまったのである」

もともと階層意識が明確に分断されていなかった日本では
明治維新以降、平等の実体化が進み、その弱い階層意識はどんどん踏みつぶされてしまった。

それによって、社会の最下層でも立身出世できるパイプがいたるところにでき、
明治以来、日本が急速に発展した活力源となっていたとする。

これが民主主義思想が入ってきた「よきにつけ」の面。

そして、「あしきにつけ」とは、
民主主義というフィクションを実体と勘違いし、
「その場かぎりのムード的な多数意思」に引きづられるようになったことである。

こうして生まれたのが太平洋戦争の悲劇である、とする。

(満州事変の勃発1931から、太平洋戦争終了1945まで
 14年の間に首相が13回も変わっていたようである)

・・・・


民主主義で消化不良を起こすというより、なんだかちょっぴり下痢してる?

この本が書かれたのは、昭和40年だけど、
日本人の政治家を選ぶ力が乏しいのは残念ながら今もそうだと思う。
(この二世議員やタレント議員の多さを見るにつけ〝選びたくない〟〝選べない〟のだと思う)

こうしたことは言われていたけれど、
それを食や気候風土あたりから論じて達したのはすごい。


しかし、もう世界じゅうが民主主義化する潮流だったのだから、
無理でもなんでも、猫も杓子も民主主義国家なのである。

日本の場合、
社会が右肩上がり、あるいは安定の時にはそれなりにうまく作用するようだけど、
社会不安が増したり、下向きになったときはその弱さが露呈してしまうのか。


まあ、ここらへんのことについては、まだまだわからないけれど、

この「首相がよく変わる」というのは、まずどげんかせんといかんと思う。
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by room2room | 2012-04-22 00:17 |

『肉食の思想』

『肉食の思想 ヨーロッパ精神の再発見』鯖田豊之 中公新書・中公文庫

日本人の食の欧米化が進んで久しいが、
じつは、日本人の食は基本的な部分ではまったく〝欧米化〟していない、
という指摘から本書は始まる。

それは欧米の食が、メインを肉、乳製品とするのに対し
日本ではあくまで主食となるのは米や麺といった穀類である。
それがパンに置き換わったところで、日本人の高い穀類依存率は変わるはずがない。
日本人の食生活は一見西欧化したようだが、基本のパータンは変わっていないのである。

肉は米とは置き換わらないのである。永遠に、といっていいほど。

(このパラドックスは、16世紀あたりに日本にやってきたキリスト教宣教師が布教して、
信者が増えても〝キリスト教精神〟だけはまったく根づかなかったという悲劇にも似ている)

そもそも肉食と菜食が分かれたのは気候風土によるものが大きい。
日本よりはるかに北に位置するヨーロッパでは、
植物が生い茂ってジャングル化するようなことがほとんどない。
せいぜい地面を短い草が覆い尽くすぐらいで、
そこから人間が食べられる豊かな農作物はのぞめない。
そこでその草を家畜に食べさせることで、肉や乳を得る農法が発達した。

一方、日本をはじめ東南アジアでは、夏の湿度温度とも高い時期に
草はあっというまに逞しく育つ。
育ちきった草はもはや家畜の餌には適していないし、
そこで育った農作物を食べたほうが効率がいい。

こうして気候風土の事情から選択されていった食のあり方は、
その土地の人々の宗教から社会構成、価値観まで大きな影響を与えていく。

キリスト教はなぜ一夫一婦制か。
ヨーロッパの貴族はどうやって生まれたか。
なぜ、フランス革命が起きたか。
なぜ、ヨーロッパにおいて個人主義が発達したか。

これらの源流には「肉食」があることが、この本を読むと面白いほど見えてくる。

それは一言でいえば、家畜と分かちがたく生活するなかで、
ヨーロッパ人は人間精神を発見し、人間中心主義にたどりついたということだと思う。

シーシェパードのような極端な動物愛護団体が生まれる理由や
東南アジアで見かける欧米人はバックパッカーであろうと金持ち旅行者であろうと
西洋式の食事を変えない理由が、なるほどとわかってくる。


時代は変われど、人間の根本はそう簡単には変わらない。

アジアとヨーロッパの断絶は想像以上に深い。
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by room2room | 2012-04-21 19:00 |

危機的なセレクト

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『努力しない生き方』桜井章一

けっして“努力しない”に惹かれたわけではない(言い訳)
麻雀の世界で20年間無敗という桜井氏。
なんだか無頼な、無重力な軽やかな生き方をしている人のような気がして
少し気になっていた。

本を開くと…
持たない
得ない
壁を越えない
頑張らない
悟らない
苦しまない
満たさない
正さない
覚えない

という、ないない尽くしの項目。

足していくことばかり考えてしまう毎日に
なくしてもいいものの存在を気づかせてくれる。


一番膝を打った言葉

「知識が多くて頭がいいなという人を見て自分を反省するようなことはないが、
 知識も何もない赤ん坊なんかを見ると自分の未熟さをつい反省したくなる。それが私の実感だ。」

友人や身内の赤ちゃんの無邪気なその姿を見ていると、
何やらこの子は私より“わかっている”のではないか
とふと思わされることがある。

努力の必要性も忘れたくないが、
さらに次の段階に待っているのは力の抜き方。
努力は、あくまで道具であると考えると、わかりやすいかもしれない。



さらにもう一冊。

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『折れない心の作り方』齋藤孝



『努力しない生き方』に『折れない心の作り方』。

努力せずにずうずうしく生きていかんかなとする
邪な心がみえみえなセレクトとなってしまった…。
そんなつもりじゃあ………ある。

というか、これは半分仕事で読んだ。


齋藤先生は「縁を大事にして」生きていくことを説く。

これも縁だと思って・・・の姿勢が
今ある環境も自分自身も受け入れて生きることにつながる。
本ひとつとっても縁を感じてその知識や思想を血肉にしていくことで
それが自分を支える礎になる。

自分、周囲の人、環境、出会い…それらの縁を
すなおに自分に取り込むことで心がしなやかに強くなる。

人は一人では生きていけない――そのことを知ることが強くなる一歩なのかもしれない。


この本の後半でイチローの話が出てくる。
たゆまぬ練習の鬼だったり、道具を毎日丁寧に手入れするのは有名な話だが、
さらには、
遠征先に枕やマッサージ器具をもっていくのはもちろん、
朝ごはんは毎日手作りのカレーと同じ、移動時間はつねに同じ曲を聴き、
ランチの店もつねに同じ。
シーズン中は人のバットのグリップは握らない。
自分の手の感覚が狂うから。

同じリズムでステップを踏みつづけることで、
自分の調子を維持する、平常心を生むシステムをつくる。

つまり、マウンドに立っていない時間まで
1日24時間が野球のリズムをつくるために費やされているんだね。

人はこれを努力というだろうが、イチローさんにしてみれば日常なのだろう。

齋藤先生は「習慣の技化」と呼んでいるが、
つまり、努力が習慣というレベルまで高められているのだと思う。
そのとき、もう努力ではない。
平常心で日常をおくっているだけである。


努力しないとはそういうことなのかもしれないと思う。
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by room2room | 2010-08-29 14:04 |

意外な名著

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心がラクになる後ろ向き名言100選 鉄人社

打ち合わせ前に時間があったので
涼を求めて飛び込んだコンビニで買ったワンコイン(500円)本。

ページごとにデザイン変えてあるし、
値段のわりに完成度が高い。


あとなぜか、後ろ向き名言なのに
心がラクになるというのはたしか…。

「~ねばならない」っていう縛りから解放されるかな。


::印象的だった名言::

「これ、凄くがんばってる人にはゴメンというしかないけれど、
 努力ってなんか下品。」 松尾スズキ


ひえー、全身努力の人といわれる私(大嘘)には、イタイお言葉。
「しどい!」って思いながら、なぜか共感。
努力、頑張るって、方向や量を誤るとうっとうしいだけのものになるね。



「気持ち悪いって言われることには慣れたけど、
 たまに死ねって言われるんだ。俺は言ってやりたいよ。
 こんな人生死んだも同然だってね。」江頭2:50


ネットの目撃情報によると、生エガちゃんってカッコいいらしいね。
江頭の芸風は大っきらいだが、最近きらいを通り越した。
いい歳して自分の捨て具合がすごい。それだけで一目置いてる。


「わたしは間違っているが、世間はもっと間違っている。」アドルフ・ヒットラー

怖い怖い。なんか一周して怖い。
世の中の半分はきっと間違いでできてる。
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by room2room | 2010-08-27 18:18 |