人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ベトナム行き3

ベトナム行き3_f0213602_1429212.jpg


初めてまともにガイドがいる旅をした。
といっても、空港からホテルまでの送迎ガイドだけど…。

ガイドなんて面倒くさい…と思っていたけれど、これがわりと勉強になる。
その国の習慣や常識、人々、政治経済のことをいろいろ教えてくれるし、
車窓から見ていて気になるものは、ガイドさんに聞けばたいてい教えてくれる。

ホテルに向かう車の中で、街の紹介などを聞きつつ、
いい場所があればガイドさんに案内を頼むようにしていた。

ベトナムのガイドはわりと若い男の人が多い。
ハノイのガイドは、アルマーニやプラダなどブランド品をかならず身につけていた。
本物かどうかはあやしぃが、まわりの人と比べると明らかに身なりはいい。

ちなみに、ハノイでお世話になったフォンさんは
お笑い芸人の金田似の、アーモンド形の目をしたイケメン。
スポーツクラブに通っているような引きしまったスタイルで、
いつも黒っぽい服でかちっと決めている。
チップも当たり前のようにスマートに受け取る。

欠点と言えば、右手の小指だけ妙に爪を伸ばしていたトコぐらいである。
何用だ?!

さらに彼の困ったところは

わたしのことを

お母さん

と呼ぶのだった……!

おのれ…。うぐぐ


「お母さん、ここ行ってみたくないデスカ」

「お母さん、きっと気に入りますよ」


まあ、慣れるのに数時間かかりましたよ。
異議申し立てはしなかった。ドツボにハマりそうだから・・・。


ってことで、ベトナムのガイドは甘く見ちゃいけないのだが(?)

前回のホイアンがあるベトナム中部でお世話になったタンさんは、
ハノイやホーチミンのビジネスライクなガイドと一味ちがっていた。

タンさんの印象は純朴そのもの。
大都市のガイドたちがブランド物で身を固めていたのに対し、
タンさんは身なり構わずという感じで、
リュックの肩ひもは一度切れたものを縫い直してあった。

貧乏なわけではないみたいが、
日本に行くことを目指してお金を貯めているという。
ビザをとるのにお金がたくさんいるらしい。

東南アジアに行くと仲良くなった現地の人に軽々しく
「日本に遊びにおいで」的なことを言ってしまうけれど、
たいてい「自分は行くことはできない」と寂しそうに言われる。

その大変さがどのぐらいか、私にはよくわからない。
でも日本だってつい最近までは外国はえらく遠いところだったんだよね?

タンさんの日本語はあまりうまくなかったけど、
たくさん私達に話しかけることで
自分の日本語力を高めようとしているようだった。

山道を歩いていたとき小さな川に差しかかると
「これはなんと言いますか」
「えっと、小川…?」
「そうじゃなくて、こういうキレイな川を言い表す言葉はありますか」
「え、ぇええっと、んっと、清流? 清流かなあ…」
「せいりゅう」

ごめん、タンさん。これが私の限界・・・・。




というわけで、移動中の車の中でもガンガン話しかけてくるので
時々記憶が飛んでいたり、おもわず聞き流していたりするのだけど、
タンさんが話してくれたのは、ベトナムの話はこういうことだった。


ベトナムは自国の歴史がほとんど残されていない国。
1000年にわたって中国に支配され、その後100年にわたりフランス領になった。

かつてベトナム中部は、チャンパー王国という国だった。
チャンパーは、タイやカンボジアまで広がっていた。
チャンパーは独立王国で、この国が国として独立していた大切な歴史だ。

しかし、その歴史を伝えるものもあまり残っていない。

なぜならば、ベトナム戦争で多くのものを壊されてしまったから。
そして、植物の繁生が激しいから、
この地に住んでいる人もどこに何があったのか
わかっていないのだということ。

そして、タンさんに案内してもらったチャンパー王国時代のミーソン遺跡。20世紀初頭に発見された。
ベトナム行き3_f0213602_13434643.jpg

世界遺産です。
が、ガッカリ世界遺産トップ5にランキングする勢い。

あたりはこんな感じ。
ベトナム行き3_f0213602_13453343.jpg


手づかずで転がりっぱなしのものが多く、
かろうじて形を残している石造にしても
「これはなに?」と聞いても、まだわかってないとつれない答え。

だのに石造は倒れたままで、調査をやっている様子もどこにもない。
いったい誰が発掘調査をやっているのかと聞きただすと
紆余曲折を経て、今はイタリアの調査隊がやっているとのこと。

ははん。これは・・・とうぶん明かされないなと思った瞬間。


そして爆撃の跡もある。草の生えている部分がそう。
ベトナム行き3_f0213602_13532493.jpg


ベトナムの歴史、そして解明されていない歴史、戦争の歴史
それを含んだ世界遺産なのだと思うと、納得がいく。


遺跡のふもとでは、テントにステージが設けられ、
観光客相手に出しものが40-50分ごとに繰り広げられるのであった。

ベトナム行き3_f0213602_13503671.jpg

これほんとにミーソンやチャンパーに伝わるダンスかなぁと
疑惑がわいてくる妖艶なダンス。
タイやバリの舞踏によく似ているように見えるが、
こんなに露出はしないんだよね。東~東南アジア圏は。

とにかく、タンさんの話で(理解できたところだけを)まとめると、

ベトナム中部にはかつて隆盛を誇った王国があり、
とくに北部とはまったくちがう人、文化圏である。。

ということを強調していたように思う。

あまりに高度な話をつたない日本語で話してくれて、
また私も歴史・世界情勢に疎いときたもんだから、
かなりざっくりしか理解できなかった。


ベトナムは実際に行ってみると、みどりも豊かだし、川のめぐみも海のめぐみも豊富だ。

ちなみに石炭などの資源もわりと豊富なようで
ハノイでは、石炭の町から火力発電の町を通過した。
石炭の町は街じゅう真黒であっというまに家の中が黒くすすけるらしく、
ここだけはどの店もガラス戸がついていた。

そのとき、ハノイのガイドのフォンさんに
「石炭で火力発電ができるから、ベトナムはまだ原子力発電所はないんです」
と教えてもらった。

ちなみに、ちょうど日本の高校無料化が報道された時期で
「朝、新聞で日本の高校が無料化されたニュースを読みました。すごいですよね。
 ベトナムは小学校も実質上有料で、しかも子どもが多くて二部制だから
 別に先生にお金を払って補講を受けないと追いつかないんです」と聞いた。

えっとたしか社会主義だったよね、ベトナムって。



ともかくこれだけ自然豊かな国が、つい最近まで貧困を極めてきたのは
紛争と植民地化と他国との争いに追われてきたということが大きな要因なのだろうか。


なんだかこの短い間では全然理解できていないと思うけれど、
日本とは当たり前ながらずいぶんかけ離れた国であるということだけはよくわかった。エッヘン。


面白い国やな!ベトナム!また来るで!と言いたいところだが、

たぶん私はベトナムには二度と行くことはないであろう・・・・

その理由は・・・

(つづく)

だらだらと終わりません。涙



ベトナム行き3_f0213602_14294989.jpg


ベトナム行き1
ベトナム行き2
by room2room | 2013-03-15 14:32 | 散歩と旅


<< 本というインターフェイス 最近のお仕事 >>