尊厳の芸術展→リヒテンシュタイン展

11月中旬、ちょっぴり時間ができたときに、
突如行きたくなったのは美術館。


東京藝大美術館の「尊厳の芸術展」

国立新美術館の「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」


に行くことにした。


まず一本目。
東京藝大美術館の「尊厳の芸術展」
太平洋戦争中に、強制収容された日系アメリカ人たちが
強制収容所の中で、くず材や石、貝など限られた材料で作り上げた
家具や日用品、飾り物の数々が展示されているという。

芸術家でもなんでもなく、市井の人の手でつくられたもので、
しかも材料もまともにない状況――

はたして芸術なのか、歴史的資料なのか、
どんなモノがあるのか、まったく想像がつかなかった。


実際に見て、驚いた。


素晴らしかった。


手荷物一つで砂漠などにある収容所に放り込まれた彼らは
収容所で手に入るごくごくわずかな資源をもとに
自分たちの生活に必要な家具、ソロバン、ハサミ、カゴ、表札などをつくり上げた。

くず木材は寄木細工にして小さな家具をつくり、
紙や玉ねぎの袋で繊細なカゴを編み上げる。

石で、硯やお茶碗だってつくる。
木製の日本刀もあった。
寄せ集めの材料で作り上げた、日本人形や仏壇もあった。

なかにはアメリカらしく、
パイプクリーナーで作った造花や
貝殻や種でつくった繊細なブローチなどまである。

それらがもう驚くほど繊細で丁寧な手仕事で、
たたずまいが美しいのだ。
何度も何度も喉が詰まった。

いわゆる「用の美」というものか。
しかし、それを超えるものだった。

それは、その一つひとつに、希望や優しさのような明るい力が確かに宿っていたからだ。
収容所という言葉から連想される、重苦しいイメージを見事に裏切るものばかりだった。


作品のひとつにこんな句があった。

「血の誇りしかと抱いて待つ明日」



品々の存在が知られたのは、
戦争が終わって、彼らが収容所生活から解放されて……
ずっとずっと後になってからのことだ。

彼らは収容所での苦楽をともにした手ずからの品々を
ガレージや屋根裏部屋にしまい込み、
家族にも見せることはしなかったし、
収容所生活について子どもたちに語ることはほとんどしなかったという。

それは負の歴史を自分たちの子どもの世代に引き継がないため。

子どもたちがアメリカで認められ、今度こそ根づいていけるように
つらい歴史はすべて自分たちの心にしまい込んだのだ。

今回の出てきた作品は2世、3世が
「うちにこんなものがしまわれていた」と持ち寄って
広く知られるようになったものなのだ。

たあいもない生活品ばかりだけれど、
なにか特別なものであることは
見た瞬間、彼らにもわかったにちがいない。


ほんとうにこれは見ればわかる、としか言いようがない。



誇り高き日本人がいたことに敬意を払いたい。

今のわたしたちがこんな生き方を出来るか

芸術とは一体何なのか

考えさせられた。




と、「尊厳の芸術展」に大感動したあと、

なんだか趣向も方向性も180度ちがう

国立新美術館の「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」に向かう。


リヒテンシュタイン家は、スイスとオーストリアの間にある
リヒテンシュタイン公国の王族。

その昔、リヒテンシュタインさんは、地方の有力者みたいな人だったんだけど、
芸術品が好きでいろいろ集めてたら、
ローマ帝国のカール6世とやらに気に入られて、侯爵の号をもらった人。

ということで、リヒテンシュタイン家では
「我が家の当主は優れた美術品収集家たれ。それこそが一族の栄誉を増す」
とはっきり家訓で定められおる。

そして代々、お金と地位にモノ言わせて、
ラファエッロ、レンブラント、ヴァン・ダイクをはじめとする巨匠たちの名画やら
美術工芸品を3万点もコツコツ集めちゃったのだ。


テーブルとかソファ、タピストリーなどの調度品はバロック様式のものが多いんだけど、

わー。なんかバロック苦手かも・・・。ゴテゴテしすぎやろ。


なんか西洋画にやたら多い

横たわるキリストをマリアが抱く画とか、もうわりと食傷気味。

バッカスとかヘラクレスとか神話の人とか何が何だかよくわかりません。あと、肌出し過ぎやろ。


ってもうなんか、前の展示の後遺症かな(汗)、すごく受け入れがたかったw




ただし、個人の肖像画はなかなかよくて、

イタリア人のグイド・レーニって画家が描いた「マグダラのマリア」は
みずみずしい可愛らしさで、聖女というよりはモテ女って感じでステキーでした。
さすがイタリア人やね!

フリードリヒ・フォン・アメリングって人の描いた肖像画は
生命が静かにやどっている感じがして全部よかったな。

マッティン・ファン・マイテンスとやらの
「マリア・テレジア」の肖像画もよかった。

あの手の有力者の肖像画って、
もうキモは顔、顔、顔の部分なんだろうね。
体とかドレス、調度品ってほとんど様式美の気がしてきた。

目の生き生きとした感じ、
慈悲と知性とウィットのようなものまで感じさせる豊かな表情は
観てて飽きない。


写真のなかった時代、
やっぱり自分の顔を描いてもらうってめちゃくちゃ楽しい経験だったと思うし、
まわりの人と「あーすごい似てる~」なんて言って相当に盛りあがったと思う。
描かれるヒトの関心はほとんどそこだったと思うよ。(勝手に)


ということで、人物画の面白さは別として、
西洋のこの手の豪奢さとデカさを競うような美術品には
内側からくるような共感が訪れないことがわかった。



世界はぜんぜん一つじゃない


っていうのはとても大事な認識な気がしてきた。
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by room2room | 2012-11-29 13:40 | 考えたこと


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