この100年で失ったもの

昨日の夜、ETV特集
見狼記 ~神獣 ニホンオオカミ~  (再放送)
を見ました!

日ごろぼんやりと漂い生きているもので、
ニホンオオカミが日本に一匹もいない(とされている)ということを
全然知りませんでした。

もともとは17万年前に大陸系オオカミから分かれて、
日本列島のあちこちに生息していたみたいです。

そのニホンオオカミを追い続ける人々と
ニホンの民俗信仰にせまった見事なドキュメンタリーでした。

・・・・・

メインで登場するのが、八木さんという狼…狂いのおじさん。
登山中にニホンオオカミらしき生き物に遭遇して写真に収めたことをきっかけに
奥秩父での狼探しを始めて十数年。

このおじさんてば、川岸で腹這いになって、
水面に口をつけて水をすすったりして、
並大抵じゃないワイルドさを垣間見せるのだけど、

なにより、
狼の遺物や言い伝えを守り継ぐ人、目撃者をたずねるときの顔が尋常じゃない。
渇望と歓喜と、若干の嫉妬の入り混じったような、
なんとも言えないランランとした目で見つめる。


ニホンオオカミを見たという人の感想はほぼ共通していて、

犬とは明らかにちがう姿で、
全身にブルブルと震えが来るほど恐ろしいかったと。
でも、とうのオオカミは
まるで人間のことなど見えていないかのように
悠然と通り過ぎていくのだそう。


そして日本における、
狼にまつわる遺物、そして信仰は、なかなか興味深くて
基本的には、「人に見せてはいけないもの」として言い伝わっている。

代々、狼の牙をもっていると言われる長瀞の山奥に暮らす一人暮らしの老婆を訪ねると
「はてー。おじいさんが亡くなった時にどっかいっちゃったねえ」と笑いながら話すのだけど、
八木さんが「おばあさん!それは長瀞の文化財になるぐらいすごいものですよ」とあおると、
突然慌てだすおばあさん。
ほんとうはあるのではないかと突っ込むと、口を閉ざして難しい顔をして下を向く。

さらに、埼玉県の鶴ヶ島では、いまだに隣近所16軒で狼講という形態で
狼信仰をしている地区がある。
その16軒の家々っていうのが、映像で見る限りは、
なかなか現代的な作りで、いかにも田舎って感じじゃなくて日本の一般的な家並み。
(鶴ヶ島って市だし、埼玉県の中ではそんなにド田舎ではないのです)

その狼講でおこなわれているのは、
毎月1回、家の主が、地域で管理してる狼のお宮さんに藁で包んだ白米を夜中に捧げるというもの。
夜中に一人家を出て、藁に白米をのせて、狼さまに捧げて手を合わせる。

その風習を引き継いでいるおじいさんによると
「お米がたくさんとれるように、お蚕さんがよく育つようにってお願いしてもおかしくないのだけど、
 狼さまの前に立つと何も頭に浮かんでこないんだって、うちのおやじはよく言っていました」

一部の家からは「時代も変わったし、もういいんじゃないか」って声も出ているのだけど、
どの家も障りが怖くてやめられないらしい。
(・・・ちなみにこうした狼講なるものは、秩父の村々にもあるようです)

そして、狛犬じゃなくて狼の像が境内のあちこちにある
秩父の釜山神社。
78歳にもなるおじいさんが神主で、狼に捧げる白米を入れたおひつを背負って
月に1回、山頂にある奥の院まで急こう配の山を登っていく。


山頂から垂らした鉄の鎖が唯一の命綱。
その鎖に全身を預けて、袴をはいたまま、おひつを背負い、
息を切らしながら山を這い登る。

奥の院という祠がある場所に着くと、さらにそこから谷に下る。
供え物を捧げる場所は代々神主しか知らない。そこから先はカメラは追うことはできない。
祝詞をあげる声だけが谷間に響き渡る。

神主はおひつごと白米を谷に残し、前回のおひつを背負ってまた奥の院まで戻ってくる。

神主が谷から持ち帰ってきたおひつは米が一粒残さずなくなっていて、
雨が入ったのか、米のとぎ汁のような白い膜のようなものだけが底に残っていた。

長年使ってきた木のおひつのフチには、動物の牙らしき跡が付いている。

「狼さまが召しあがったんだ。
 フチにある噛み跡は、狼の牙の跡。
 昔からフチから三分三里のところにつくのは、狼の歯形と決まっている」

そう断言する神主。
神主は狼の存在、そして神としての狼の存在を信じている。
そうでなければ、こんな命がけの神事なぞできない。

このお供えの神事は300年にわたって続けているそうで、
今は神主であるおじいさんが一人で執り行うのみ。
昨年奥さんが亡くなったらしく、一人暮らし。子どもはいない。

「一度は(オオカミに)出会えたらいいね。一生で一度、あるかないかだね」




最後のニホンオオカミは、明治38年、奈良の集落で鹿を追って山を降りてきて、
川辺で弱っていたところを、筏師に撲殺された。

それ以来、公式にはニホンオオカミの足跡は途絶えて絶滅種とされている。
(・・・その原因は、狂犬病の流行、明治以降の日本の森林破壊(国策としてのスギ・ヒノキなど人工林へ転化)が、食物連鎖の頂点に立つニホンオオカミの生息地を激減させたといわれている)



こうしてニホンオオカミの系譜は閉ざされた。


奈良の山奥には、野犬を集めて、狼に似た特徴をもつものを集めて飼育し、
かけ合わせて「戻りオオカミ」なるものを作ろうとしていた元教師がかつていたようだ。

教師の死後、「戻りオオカミ」は一頭だけ残り、
今も熊野の民家で育てられていた。
硬そうで短い毛並みは獣っぽい。
でも、狼でも犬でも狼でもない、不思議な風貌で全体としてちぐはぐな印象を受ける。
オオカミに〝戻そう〟としたところが、
なんだか別の着地点に落ちてしまったような感じではある。

引き継いだ熊野の夫婦は
「こんな見た目だから怖がられるのだけど、とってもおとなしい。
 …狼?犬でしょうね」
と笑う。


そうしている間にも、ニホンオオカミ探しに血道を上げる八木さんは、

オオカミを見た、という人々から場所を聞き出し、
そこに赤外線カメラを取り付けて、狼が現れるのを待つ。
その近くにキャンプを張り、寝袋にくるまりながら、こう夢?を語る。

「死んだら、山に土葬にしてもらいたい。そうすれば狼が食べに来てくれるから」



八木さんが秩父で偶然撮った写真は、
多くの専門家に「ニホンオオカミではない」と断ぜられた。
一人の専門家だけが、狼である可能性を示唆して、八木さんの活動を応援した。

ニホンオオカミと犬のちがいはごくわずかであるらしく
また資料的なものがほとんど残っていないことから
頭蓋骨の一部にある小さな窪みを確認しないことには
最終的に、ニホンオオカミと断定はできないらしい。


だから、私たち日本人はもうどうやっても
生きているニホンオオカミを見ることはできない。
たとえニホンオオカミがいたとしても、野生の姿ではもう見ることはできない。


・・・・・・・・・・・・・・

江戸が終わり、明治が開けて、
近代化が進む中で、日本人は次第に狼への畏れを失ったのだと思う。
狼へ畏れとは、
つまり自分たちには及ばない力をもつものがいるという
自然への畏れを象徴していたのだと思う。


これからも、狼信仰は風化していくだろう。
完全には消えないかもしれないが、
ますます人々の心からなくなっていくことは確かである。
今でさえ、すでに風前の灯であるのだから。


失いつつある狼信仰の風習を取り戻すことはもうできない。
たとえやったところでもはや「戻りオオカミ」のたどり着いた先と同じである。


それならば、これからは

どういうかたちで自然への畏敬を取り戻したらいいのだろうか

ということを考えさせられた。


人間が弱く愚かな存在であって、
人間は自然によってようやく生かされる、ごく小さな存在であるのは
今も昔もまったく変わりはないのだろう。

ただ、自然を畏れる敬虔な気持ちだけは失ってしまった。

そのアンバランスの上に立っていることに少しだけ哀しみを覚える。
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by room2room | 2012-04-08 16:36 | 考えたこと


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